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新キャラクター「餃子姫」誕生
中国の画家と日本の陶芸家 つなぐアイデア

新キャラクター「餃子姫」誕生
中国の画家と日本の陶芸家 つなぐアイデア

画家 李娜さん(右)
陶芸家 堀内めぐむさん(左)


近日、大阪市にオープンしたギャラリー「Artful Yao Gallery(耀ギャラリー)」。中国大連市出身の女性アーティスト李娜さんによって設立された。オープニングセレモニーでは李さんの活動を応援する芸術家の仲間らが集まり、それぞれの作品が披露されたが、その中でとりわけ注目を集めたのが陶器作品「餃子姫」。日本の陶芸家堀内めぐむさんの作品で、李さんのプロヂュースでイラスト化されキャラクターとしてバッグやぬいぐるみなど商品化されることが発表された。
李娜さんと堀内さんの出会いは、李さんのチャリティー活動。約10年前に来日した李さんは、画家として作品を生み出すかたわら、大阪黒門市場に画廊を開き、芸術交流イベントを開いていた。新型コロナウイルス流行の際は画廊運営に大きな影響が出たが、日本で知り合った芸術家たちと協力し合い、「世界の画家を元気づける」をテーマに2年にわたりチャリティ形式の展示会を開いた。展示作品を販売しその収益の一部を大阪府を通じて支援団体に寄附をした。その後もより多くのアーティストが参画し、李さんは志を同じくする仲間を増やしていった。堀内さんもその仲間の一人だ。
堀内さんは、2歳から泥んこ遊びに夢中。学生時代、「絵描きになれ」と美術の先生から強く勧められるもいつしか陶芸の道へ。先住民アートに魅せられ、北はアラスカ、南はオーストラリアとカナダ・アメリカ大陸横断のひとり旅を決行。環境デザインや文化人類学の視点から陶芸の世界を学んできた。フランスやカナダなど世界各国で個展を開いている。「終活の年代になりましたが、創作活動をまだまだ楽しんでいます」と堀内さん。陶芸作品を作る過程で、たまたま作った「餃子姫」が李さんの目に留まり、キャラクターとして歩き始めた。
李さんがギャラリー「Artful耀」を開いたのも、芸術家同士の交流の場を増やすため。違った文化や視点がぶつかることで化学反応を起こし、新しいアートが生まれる。李さんと堀内さんが生み出した餃子姫は、どんな成長を遂げるだろうか。


Artful Yao Gallery(耀ギャラリー)http://www.artfulyao.com/

【日中を翔る】日中夢楽観光株式会社 代表取締役 上松成人さん

【日中を翔る】日中夢楽観光株式会社 代表取締役 上松成人さん

変わらぬ楽山大仏 変わらぬ中国旅への夢

7月6日、大阪で中国・四川省楽山市の観光促進会が開催され、日中の観光業界の代表者らを中心に100名以上の参加者が集まった。来賓のスピーチでひときわ大きな拍手を集めたのが日中夢楽観光株式会社代表取締役の上松成人さん。大学生の頃、バックパッカーとして中国各地を放浪した経験を持つ上松さんは、80年代に楽山大仏の足元で撮った自身の写真を紹介しながら、変わらぬ中国旅行への思いを語った。
楽山大仏(らくさんだいぶつ)は楽山市にある弥勒菩薩を象(かたど)って彫られた巨大な磨崖仏(石仏)。「峨眉山と楽山大仏」として、近隣にある峨眉山とともにユネスコの世界遺産に登録されている。全高(縦全長)約71m、像高(像本体の高さ)約59.98m。 近代以前に造られたものでは世界最大・最長の仏像であり石像だ。
兵庫県神戸市出身の上松さんは阪南大学経済学部経済学科の学生だった1986年8月から2カ月と1987年2月から2か月弱、合わせて4カ月ほど、リュックひとつ背負って中国各地を旅行した。81年に公開されたドキュメンタリー映画『長江』に強い感銘を受け、中国に興味を持ったのがきっかけだ。同作はシンガーソングライターのさだまさしさんが祖父、父母が青春時代を送った中国を訪ね、長江の流れに沿って通り過ぎる街と人々と、その歴史を追ったドキュメンタリー。さださんが見た景色を追って楽山大仏も訪れた。巨大な大仏の足元にたたずむ自分の小ささや、目の前に広がる岷江(びんこう)の滔々とした流れに悠久の歴史を感じた。
若き日の旅の経験が原点となり、上松さんはその後中国旅行のプロフェッショナルとなる。大学卒業後、中国専業旅行社「日中平和観光株式会社」に入社。大阪支店長まで務めたのち22年5月「日中夢楽観光株式会社」を滋賀県大津市に設立した。「新たな志を持って、きめ細かいサービスを目指し、夢の有る楽しい旅を提供する」ことをモットーに、航空会社・中国側旅行会社との強いパイプを生かしたきめ細かいサービスを提供している。24年には大阪支店を堺筋本町に開設。25年3月には都道府県唯一停止していた滋賀県日本中国友好協会を再設立させ理事長に就任した。
若いころ中国で感じた感動を仕事を通しずっと形にしてきた上松さん。千年以上変わらぬ姿を保ちこれからも未来に続いていく楽山大仏との関わりを通し、日中間の観光往来が楽しく夢のあるものであるよう願いを込めたスピーチは、来場者の心を強くゆさぶるものであった。

日中夢楽観光株式会社
ホームページ:https://yumeraku.jp

【日中を翔る】朱鷺でつなぐロシア、中国、日本の縁
油絵画家 妟子(あんし)さん

【日中を翔る】油絵画家 妟子(あんし)さん
朱鷺でつなぐロシア、中国、日本の縁

関西・大阪万博の中国館で7月8日より開催された陝西省ウィークの催しで、ひときわ目を引いたのが朱鷺(トキ)を描いた油絵展だった。『鹮美陕西』と名付けられた同展は自由に空や人里を羽ばたく朱鷺の姿を通し、自然と人類の共存を目指す陝西省の魅力を十分に伝えるものであった。
朱鷺はかつて世界でわずか数羽になるまで減少し絶滅の危機に瀕していたが、日本や中国、韓国の保護活動により個体数が回復していった。現在日本で生息している約600羽はすべて中国から贈呈もしくは供与された個体の子孫であり、朱鷺は日中間において友好の象徴であると同時に、グローバルな環境保護の点でも象徴的な役割を担っている。
そんな朱鷺をテーマに作品を描くのは陝西省西安を拠点に活躍する油絵画家の妟子さん。ご本人に会った瞬間、まず不思議な色をした大きな瞳と豊かな髪に目を奪われた。祖父が旧ソ連出身で重慶の816地下核プロジェクトに関わった核物理学者だった。中ソ蜜月時代が終わりを迎えた時、祖父は強制的に帰国することになった。中国人の祖母と約束する。「二人の息子に子どもが生まれたら、第一子は必ずソ連に渡り祖父と暮らすこと」。そして約束通り妟子さんは生後8か月の時に祖父のもとへ送られ12歳までサンクトペテルブルクで暮らした。
子どもの頃、強く印象に残っている光景がある。祖父に連れられ訪れた大きな聖堂に美しい鳥が飛んでいた。嘴は細く長く、顔も足も産毛も綺麗な赤色をしていた。「天国の鳥だよ。幸せの象徴だよ」と言った祖父の笑顔とともに。その時から鳥の絵を描くようになった。のちに、祖父の弟でロシアの著名な彫刻家、油絵画家であったロビッチ(中国語表記:羅維奇)氏の手ほどきを受け油絵を学んだ。
12歳の時祖父が亡くなり、両親や祖母の住む中国へ帰ってきた。北京の大学で美術を学びヨーロッパで研鑽を深めた。プロの画家になった後もずっと心にあったのは「天国の鳥」だった。2009年、陝西省漢中洋県で写生をしていた時、一羽の大きな鳥が突然目の前に飛んできた。「天国の鳥だ!」それが朱鷺だったのだ。その時から朱鷺をテーマに創作を続けてきた。大空を自由に飛び交う朱鷺の姿だけでなく、共存する人々の姿にも視点を置き描かれた作品は中国で高い評価を得ている。2019年には陝西省林業局から「朱鷺文化宣伝推進大使」の称号が授与された。
大阪万博の会場で作品を見た人たちが何人も涙を流し妟子さんの手を握ってお礼を言ったという。妟子さんは「朱鷺の縁はロシアから中国、日本へとつながった。今後も私の芸術を通して日中や世界の平和に貢献していきたい」と話した。
今回の大阪万博の展覧会で大きな足跡を残した妟子さんのもとには、日本で個展をして欲しいというオファーが来ているという。朱鷺が日本の大空も舞う日が来るように、妟子さんの願いは続く。