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【日中を翔る】百日宴で願う 国境を越えた友情を受け継いで 河原浩(何浩)君(0)

【日中を翔る】百日宴で願う 国境を越えた友情を受け継いで 河原浩(何浩)君(0)

何玲青さん(右)一家

2月28日、大阪市内のホテルで何玲青さんの次男河原浩(何浩)君(0)の誕生百日祝いが盛大に開かれた。国際物流会社を経営する何さんは日本中華總商会副会長、関西中華總商会名誉会長などを歴任。日本のビジネス界で活躍する著名な華商だ。会場には華僑華人団体の代表や日本人の友人ら約160名の人々が集い、浩君の健やかな成長を祝った。
母・胡丹丹さんに抱かれる浩君

何さんが60歳の還暦を迎えた年に生まれた浩君。何さんは挨拶の中で今は亡き両親と妻胡丹丹さんへの感謝を述べたあと、自分自身の半生を振り返り「一滴の水は海に流れ込んで初めて存在し続けることができる。人は集団に溶け込むことで初めて真の力を発揮できるのです。私が日本で長年努力を重ね、孤独から現在の仕事と家庭を築くことができたのは、在日華僑コミュニティの相互支援と、中国と日本の友人たちの力強い支えがあってこそ」と語った。人々の間の友好こそが日中関係の基盤であると確信しており、在日華僑のリーダーとして在日華僑コミュニティを守り、日中友好の架け橋となる責任を負っていると述べた。
列席者全員で「福」を願う

何さんは生まれながらにして日中文化のゆりかごに抱かれた浩君に「平和で健康な人生を送って欲しい。幸せに成長し、大人になったら感謝の気持ちを忘れず、国境を越えたこの友情を心に留め、温かく責任感のある人間になり、日中友好の原点となる志を受け継いでほしい」と祝福を送った。
何さんが日本に留学した時の保証人小仲宏さん、共に会社を立ち上げた三並啓作さん、来日後の様々な学びを指導してくれた四国大学大学院太田剛教授、甲南大学胡金定教授、そして共に学んだ仲間—京都大学ELP7期代表で同窓会会長の佐藤幸恵さんなど、日本での奮闘を支え見守ってきた人々が壇上に立ち、浩君の誕生を祝った。遠くは中国からお祝いに駆けつけたゲストも。日中の芸術家らは歌や演奏などで会場を盛り上げた。書家でもある何さんは来場者全員に「福」の文字の書を贈り、すべての人々の幸せを祝した。

【日中を翔る】顔が見える交流活動を続け20年 元日中友好桜花協会 主宰 平岡政子さん

【日中を翔る】顔が見える交流活動を続け20年 元日中友好桜花協会 主宰 平岡政子さん

関西華文時報は24年前に創刊した。当時、SNSはなく在日中国人は新聞や直接人と交流する場でさまざまな情報を得ていたように思う。そうした交流の場には中心となって運営する人物がいて、海外で奮闘する人たちに暖かい「居場所」を提供していた。そうした人物の一人平岡政子さん。元日中友好桜花協会の主宰で、飲食店を経営するかたわら定期的に日本人と中国人との交流会を開催していた。12年前に両親の介護のため故郷愛媛県松山市に戻ったが、近日大阪で久しぶりに交流会を開催し、旧交を温めた。
1月17日に大阪市内で開かれた交流会の様子。平岡さんを慕い日中両国の参加者が多く集った


中国に留学し中国語を話す平岡さんは、大阪に住む在日中国人とより多く知り合いたいと、2005年から食事会やボーリング大会を開いてきた。特に趣味の社交ダンスは、当時の中国の全世代の人々に親しみのあるレクリエーションで人気があったことから、定期的に在日中国人向けのダンスパーティを開いて楽しんだ。平岡さんが主催をしたイベントで知り合い結婚した人、友情をはぐくんだ人、ビジネスにつなげた人。さまざまな出会いを見守ってきた。
ダンスパーティーにて(右3平岡さん)

故郷松山でも食事会やボーリング大会、ダンス交流会に温泉旅行と、在日中国人と日本人との交流イベントを続けている。「最近は松山にも中国の観光客が増えて、道案内するなど中国語を話す機会が増えて嬉しい」と話す。

「日中交流合宿〜共創する未来〜」開催——日常を起点に、学生が描く新たな日中交流——

「日中交流合宿〜共創する未来〜」開催
——日常を起点に、学生が描く新たな日中交流——

2月6日から7日にかけて、日中学生交流団体freebird主催、西日本地区中国留学生学友会協力のもと、「日中交流合宿〜共創する未来〜」が大阪にて開催された。本事業は、国際交流基金「日中次世代交流ネットワーク助成事業」の助成を受けて実施された。
オンラインオリエンテーションにて、南京町周辺のおすすめスポットを紹介
オンラインオリエンテーションにて、南京町周辺のおすすめスポットを紹介

本合宿には、日本人学生と中国人留学生あわせて55名が参加。従来の季節行事や文化紹介を中心とした交流とは異なり、「交流企画立案型ワークショップ」として実施され、日中交流を日常生活の延長線上に位置づけ直すことを目的とした。参加者が自らの関心や生活経験を出発点に交流企画を構想・実践することで、「参加者」から「企画者」へと意識を転換することを目指した。
合宿に先立ち、1月31日にはオンラインオリエンテーションを実施し、全体の流れを共有するとともに、班ごとの交流を通じて参加者同士の理解を深めた。
やってみたい日中交流イベントについて語り合う参加者
やってみたい日中交流イベントについて語り合う参加者

2月6日、開会式およびアイスブレイクを経て合宿がスタート。参加者は共通点を探しながら班名を決定し、日本語・中国語それぞれの工夫を凝らした班名が生まれ、会場は自然と打ち解けた雰囲気に包まれた。その後、各班は事前課題として検討してきた、日常生活の中から見出した日中交流の切り口や企画構想を共有し、互いの関心や視点への理解を深めた。
インフルエンサー・ヤンチャン氏が日本との出会いや留学当時の経験を語った
インフルエンサー・ヤンチャン氏が日本との出会いや留学当時の経験を語った


午後には、日中文化交流分野で発信を続け、SNSやYouTubeを中心に総フォロワー数30万人を超えるインフルエンサーの楊小溪(ヤンチャン)氏を招き、「共創する未来」をテーマに講演が行わた。文化発信、語学学習、進路選択、将来設計など自身の経験に基づく話を通じて、参加者は日中交流の多様な可能性と、その中で自らが果たし得る役割について考える機会を得た。
神戸華僑歴史博物館
神戸華僑歴史博物館を訪問、名誉館長・安井三吉氏とともに


その後、神戸華僑歴史博物館を訪問し、名誉館長・安井三吉氏より、神戸の華僑・華人が異国の地に根を下ろし、社会に溶け込みながら歩んできた歴史について解説を受けた。実地での学びを通じて、参加者は神戸南京町を単なる観光地としてではなく、幾世代にもわたる華僑・華人の生活と文化の積み重ねによって形成された場所であり、日中民間交流の歴史が息づく空間として捉え直した
春節に彩られた南京町を楽しむ参加者
イベント企画発表会を笑顔で聞く学生たち
イベント企画発表会を笑顔で聞く学生たち


2月7日には、企画立案ワークショップが行われた。freebird役員より企画の目的設定や動機の整理、企画書作成の考え方について説明があり、本合宿の本質は「企画書を完成させること」ではなく、「一人ひとりの想いを具体化し、実践可能な形にすること」にあることが強調された。参加者は、食、農業、ファッション、地域文化、言語交流など、日常に根ざしたテーマを出発点に企画を立案し、班ごとに発表を行った。
企画発表会でまちあるきビンゴを企画した学生


2日間の交流を通じて、参加者は日中交流が特定の場に限定されるものではなく、日常生活や身近な人との関わりの中から主体的に創り出すことができるものであるとの共通認識を形成した。歴史や先人の歩みを学びつつ、現代社会の課題や自身の進路と向き合い、未来の交流のあり方を展望する機会となった。参加者からは、「自分自身も日中交流を担う存在であると実感した」との声が寄せられた。

【日中を翔る】産業と人との共存を映す――写真家孫宏亮の視線

【日中を翔る】産業と人との共存を映す――写真家孫宏亮の視線

中国の写真家孫宏亮(そん・こうりょう)さんが近日、写真集『越位』を発表し現地で大きな話題となっている。街角の何気ない風景や工場などの無機質な空間を切り取る孫さんの作品は、静寂の中に生命の息吹を感じさせる。変わりゆく中国の風景の中に、変わらない人の温かみや絶え間なく続く文化と産業文明の対立を映し出した。
孫さんは中国大連市出身、現在は大連瓦房店に暮らす。大連市作家協会会員。1993年より、余暇を利用して写真撮影と執筆活動を行っている。作品は『海燕』『遼河』『百花園』『中国科技報』『大連日報』『東北之窓』など中国の新聞や雑誌に多数掲載されている。
写真作品『タイムトンネル』は中韓美術展に出品し受賞、1999年広州写真ビエンナーレで優秀賞、2001年大連写真書道展で数点の写真作品が三等賞を受賞するなど各地のコンテストで受賞歴を誇る。
ジェクトに通訳として参加
本紙記者との交流を機に日本での個展開催や日本の写真家たちとの交流を計画している。孫さんはいわゆる「美的に美しい」写真を撮ろうとはしない。産業システムが停止した後に残る温もり、「誰かがここにいた」という静寂、喧騒の後の静寂を捉える。「富士山や京都の紅葉などを撮影してみたい」と話す孫さんだが、きっと異国情緒を求めることも、ノスタルジアに浸ることもなく、日本の文化の「継続性」と「産業と人との共存」を映し出すのではないか。

【日中を翔る】日中の心を結ぶ「言葉の真実」を求めて ――通訳者・周瑞樹の矜持

【日中を翔る】日中の心を結ぶ「言葉の真実」を求めて ――通訳者・周瑞樹の矜持

「通訳とは、単に言葉を置き換える作業ではない」。そう静かに、しかし確信を持って語るのは、通訳者として30年以上のキャリアを持つ周瑞樹(しゅう・ずいき)さん。的確かつ分かりやすい通訳で、日中関連のイベントでは常連の人気通訳者だ。
通訳をする周さん

外国語エリート教育を受ける

彼女の歩みは、中国でも極めて稀なエリート教育の場から始まった。当時、外国語を重点的に勉強できる中学・高校は全国に8校しかなく、一校当たり80人の狭き門であった。周さんはそのうちのひとつ「天津外国語大学付属中学校」に入学。習得が難しい言語である日本語クラスには成績優秀者である20名が配属になった。その後、名門・南開大学への進学を経て、当時のダイエー会長中内功氏が手掛けていた日本への留学試験に応募して1991年に神戸へ留学。流通科学大学で学んだ。選ばれし才能に甘んじることなく、異国の地でさらなる研鑽を積むこととなる。
日中パンダ繁殖プロジェクトに通訳として参加

現場で貫く「情報の裏取り」という誠実

周さんのプロフェッショナリズムを象徴するのが、徹底した「裏取り」の精神である。かつてテレビ局の仕事で、コロナ禍の中国で警察に連行される中国人女性のニュースを扱った際のことだ。センセーショナルな映像に流されることなく、彼女は自ら事実関係を徹底的に調査した。背景にある事情や情報の正誤を精査し、安易な誤報が日中関係の亀裂を深めることを未然に防いだのである。「責任感と愛情を持って、人間が自ら動かなければならない」と彼女は語る。
その妥協なき姿勢は、「上海・長江交易促進プロジェクト」、「日中パンダ繁殖プロジェクト」など数々の国家級プロジェクトでも発揮された。川崎重工業で12年間、中国大陸の高鉄(新幹線)や台湾の地下鉄プロジェクトに携わり、膨大な専門用語を習得するために深夜まで独学を続けた。また大学や大学院では実践的な経営学を学んできた。通訳の場でもクライアントである経営者の視点で臨み、日中ビジネスを根底で支えてきた。2015年からは医療通訳の分野の勉強を始め、最近は特に再生医療の最前線で医療通訳者として活躍している。そこでも「一秒の通訳のために五、六時間の準備を惜しまない」という執念は変わらない。
通訳をする周さん

結実する「ALL WIN」の理念

54歳という年齢を感じさせない若々しさとエネルギーに満ちた彼女だが、その歩みは平坦ではなかった。過酷な労働で心身を削った時期を乗り越え、現在は再生医療の普及や、スピーチコンテストで教え子を次々と優勝させる「勝たせる講師」としても活躍している。
彼女が活動の指針として掲げるのは、「地道な努力、向上心、誠心誠意、ALL WIN」という四つの理念である。
「言葉によって人生が変わり、社運や国運さえも変わることがある」。
自ら愛情を込めた言葉を紡ぎ、関わるすべての人々が繁栄する「ALL WIN」の世界を目指す。周瑞樹という通訳者の存在は、日中両国の平和と発展を繋ぐ、強固でしなやかな懸け橋そのものである。(写真/周瑞樹さん提供)

瑞樹通訳事務所 代表周瑞樹
電話:090-9093-0948
zhouzhe1919@yahoo.co.jp
青柳流詩舞、関西吟詩、生け花など日本文化にも造詣が深い

新キャラクター「餃子姫」誕生
中国の画家と日本の陶芸家 つなぐアイデア

新キャラクター「餃子姫」誕生
中国の画家と日本の陶芸家 つなぐアイデア

画家 李娜さん(右)
陶芸家 堀内めぐむさん(左)


近日、大阪市にオープンしたギャラリー「Artful Yao Gallery(耀ギャラリー)」。中国大連市出身の女性アーティスト李娜さんによって設立された。オープニングセレモニーでは李さんの活動を応援する芸術家の仲間らが集まり、それぞれの作品が披露されたが、その中でとりわけ注目を集めたのが陶器作品「餃子姫」。日本の陶芸家堀内めぐむさんの作品で、李さんのプロヂュースでイラスト化されキャラクターとしてバッグやぬいぐるみなど商品化されることが発表された。
李娜さんと堀内さんの出会いは、李さんのチャリティー活動。約10年前に来日した李さんは、画家として作品を生み出すかたわら、大阪黒門市場に画廊を開き、芸術交流イベントを開いていた。新型コロナウイルス流行の際は画廊運営に大きな影響が出たが、日本で知り合った芸術家たちと協力し合い、「世界の画家を元気づける」をテーマに2年にわたりチャリティ形式の展示会を開いた。展示作品を販売しその収益の一部を大阪府を通じて支援団体に寄附をした。その後もより多くのアーティストが参画し、李さんは志を同じくする仲間を増やしていった。堀内さんもその仲間の一人だ。
堀内さんは、2歳から泥んこ遊びに夢中。学生時代、「絵描きになれ」と美術の先生から強く勧められるもいつしか陶芸の道へ。先住民アートに魅せられ、北はアラスカ、南はオーストラリアとカナダ・アメリカ大陸横断のひとり旅を決行。環境デザインや文化人類学の視点から陶芸の世界を学んできた。フランスやカナダなど世界各国で個展を開いている。「終活の年代になりましたが、創作活動をまだまだ楽しんでいます」と堀内さん。陶芸作品を作る過程で、たまたま作った「餃子姫」が李さんの目に留まり、キャラクターとして歩き始めた。
李さんがギャラリー「Artful耀」を開いたのも、芸術家同士の交流の場を増やすため。違った文化や視点がぶつかることで化学反応を起こし、新しいアートが生まれる。李さんと堀内さんが生み出した餃子姫は、どんな成長を遂げるだろうか。


Artful Yao Gallery(耀ギャラリー)http://www.artfulyao.com/

【日中を翔る】日中夢楽観光株式会社 代表取締役 上松成人さん

【日中を翔る】日中夢楽観光株式会社 代表取締役 上松成人さん

変わらぬ楽山大仏 変わらぬ中国旅への夢

7月6日、大阪で中国・四川省楽山市の観光促進会が開催され、日中の観光業界の代表者らを中心に100名以上の参加者が集まった。来賓のスピーチでひときわ大きな拍手を集めたのが日中夢楽観光株式会社代表取締役の上松成人さん。大学生の頃、バックパッカーとして中国各地を放浪した経験を持つ上松さんは、80年代に楽山大仏の足元で撮った自身の写真を紹介しながら、変わらぬ中国旅行への思いを語った。
楽山大仏(らくさんだいぶつ)は楽山市にある弥勒菩薩を象(かたど)って彫られた巨大な磨崖仏(石仏)。「峨眉山と楽山大仏」として、近隣にある峨眉山とともにユネスコの世界遺産に登録されている。全高(縦全長)約71m、像高(像本体の高さ)約59.98m。 近代以前に造られたものでは世界最大・最長の仏像であり石像だ。
兵庫県神戸市出身の上松さんは阪南大学経済学部経済学科の学生だった1986年8月から2カ月と1987年2月から2か月弱、合わせて4カ月ほど、リュックひとつ背負って中国各地を旅行した。81年に公開されたドキュメンタリー映画『長江』に強い感銘を受け、中国に興味を持ったのがきっかけだ。同作はシンガーソングライターのさだまさしさんが祖父、父母が青春時代を送った中国を訪ね、長江の流れに沿って通り過ぎる街と人々と、その歴史を追ったドキュメンタリー。さださんが見た景色を追って楽山大仏も訪れた。巨大な大仏の足元にたたずむ自分の小ささや、目の前に広がる岷江(びんこう)の滔々とした流れに悠久の歴史を感じた。
若き日の旅の経験が原点となり、上松さんはその後中国旅行のプロフェッショナルとなる。大学卒業後、中国専業旅行社「日中平和観光株式会社」に入社。大阪支店長まで務めたのち22年5月「日中夢楽観光株式会社」を滋賀県大津市に設立した。「新たな志を持って、きめ細かいサービスを目指し、夢の有る楽しい旅を提供する」ことをモットーに、航空会社・中国側旅行会社との強いパイプを生かしたきめ細かいサービスを提供している。24年には大阪支店を堺筋本町に開設。25年3月には都道府県唯一停止していた滋賀県日本中国友好協会を再設立させ理事長に就任した。
若いころ中国で感じた感動を仕事を通しずっと形にしてきた上松さん。千年以上変わらぬ姿を保ちこれからも未来に続いていく楽山大仏との関わりを通し、日中間の観光往来が楽しく夢のあるものであるよう願いを込めたスピーチは、来場者の心を強くゆさぶるものであった。

日中夢楽観光株式会社
ホームページ:https://yumeraku.jp

【日中を翔る】朱鷺でつなぐロシア、中国、日本の縁
油絵画家 妟子(あんし)さん

【日中を翔る】油絵画家 妟子(あんし)さん
朱鷺でつなぐロシア、中国、日本の縁

関西・大阪万博の中国館で7月8日より開催された陝西省ウィークの催しで、ひときわ目を引いたのが朱鷺(トキ)を描いた油絵展だった。『鹮美陕西』と名付けられた同展は自由に空や人里を羽ばたく朱鷺の姿を通し、自然と人類の共存を目指す陝西省の魅力を十分に伝えるものであった。
朱鷺はかつて世界でわずか数羽になるまで減少し絶滅の危機に瀕していたが、日本や中国、韓国の保護活動により個体数が回復していった。現在日本で生息している約600羽はすべて中国から贈呈もしくは供与された個体の子孫であり、朱鷺は日中間において友好の象徴であると同時に、グローバルな環境保護の点でも象徴的な役割を担っている。
そんな朱鷺をテーマに作品を描くのは陝西省西安を拠点に活躍する油絵画家の妟子さん。ご本人に会った瞬間、まず不思議な色をした大きな瞳と豊かな髪に目を奪われた。祖父が旧ソ連出身で重慶の816地下核プロジェクトに関わった核物理学者だった。中ソ蜜月時代が終わりを迎えた時、祖父は強制的に帰国することになった。中国人の祖母と約束する。「二人の息子に子どもが生まれたら、第一子は必ずソ連に渡り祖父と暮らすこと」。そして約束通り妟子さんは生後8か月の時に祖父のもとへ送られ12歳までサンクトペテルブルクで暮らした。
子どもの頃、強く印象に残っている光景がある。祖父に連れられ訪れた大きな聖堂に美しい鳥が飛んでいた。嘴は細く長く、顔も足も産毛も綺麗な赤色をしていた。「天国の鳥だよ。幸せの象徴だよ」と言った祖父の笑顔とともに。その時から鳥の絵を描くようになった。のちに、祖父の弟でロシアの著名な彫刻家、油絵画家であったロビッチ(中国語表記:羅維奇)氏の手ほどきを受け油絵を学んだ。
12歳の時祖父が亡くなり、両親や祖母の住む中国へ帰ってきた。北京の大学で美術を学びヨーロッパで研鑽を深めた。プロの画家になった後もずっと心にあったのは「天国の鳥」だった。2009年、陝西省漢中洋県で写生をしていた時、一羽の大きな鳥が突然目の前に飛んできた。「天国の鳥だ!」それが朱鷺だったのだ。その時から朱鷺をテーマに創作を続けてきた。大空を自由に飛び交う朱鷺の姿だけでなく、共存する人々の姿にも視点を置き描かれた作品は中国で高い評価を得ている。2019年には陝西省林業局から「朱鷺文化宣伝推進大使」の称号が授与された。
大阪万博の会場で作品を見た人たちが何人も涙を流し妟子さんの手を握ってお礼を言ったという。妟子さんは「朱鷺の縁はロシアから中国、日本へとつながった。今後も私の芸術を通して日中や世界の平和に貢献していきたい」と話した。
今回の大阪万博の展覧会で大きな足跡を残した妟子さんのもとには、日本で個展をして欲しいというオファーが来ているという。朱鷺が日本の大空も舞う日が来るように、妟子さんの願いは続く。