【日中を翔る】朱鷺でつなぐロシア、中国、日本の縁
油絵画家 妟子(あんし)さん

【日中を翔る】油絵画家 妟子(あんし)さん
朱鷺でつなぐロシア、中国、日本の縁
関西・大阪万博の中国館で7月8日より開催された陝西省ウィークの催しで、ひときわ目を引いたのが朱鷺(トキ)を描いた油絵展だった。『鹮美陕西』と名付けられた同展は自由に空や人里を羽ばたく朱鷺の姿を通し、自然と人類の共存を目指す陝西省の魅力を十分に伝えるものであった。
朱鷺はかつて世界でわずか数羽になるまで減少し絶滅の危機に瀕していたが、日本や中国、韓国の保護活動により個体数が回復していった。現在日本で生息している約600羽はすべて中国から贈呈もしくは供与された個体の子孫であり、朱鷺は日中間において友好の象徴であると同時に、グローバルな環境保護の点でも象徴的な役割を担っている。
朱鷺はかつて世界でわずか数羽になるまで減少し絶滅の危機に瀕していたが、日本や中国、韓国の保護活動により個体数が回復していった。現在日本で生息している約600羽はすべて中国から贈呈もしくは供与された個体の子孫であり、朱鷺は日中間において友好の象徴であると同時に、グローバルな環境保護の点でも象徴的な役割を担っている。

そんな朱鷺をテーマに作品を描くのは陝西省西安を拠点に活躍する油絵画家の妟子さん。ご本人に会った瞬間、まず不思議な色をした大きな瞳と豊かな髪に目を奪われた。祖父が旧ソ連出身で重慶の816地下核プロジェクトに関わった核物理学者だった。中ソ蜜月時代が終わりを迎えた時、祖父は強制的に帰国することになった。中国人の祖母と約束する。「二人の息子に子どもが生まれたら、第一子は必ずソ連に渡り祖父と暮らすこと」。そして約束通り妟子さんは生後8か月の時に祖父のもとへ送られ12歳までサンクトペテルブルクで暮らした。

子どもの頃、強く印象に残っている光景がある。祖父に連れられ訪れた大きな聖堂に美しい鳥が飛んでいた。嘴は細く長く、顔も足も産毛も綺麗な赤色をしていた。「天国の鳥だよ。幸せの象徴だよ」と言った祖父の笑顔とともに。その時から鳥の絵を描くようになった。のちに、祖父の弟でロシアの著名な彫刻家、油絵画家であったロビッチ(中国語表記:羅維奇)氏の手ほどきを受け油絵を学んだ。

12歳の時祖父が亡くなり、両親や祖母の住む中国へ帰ってきた。北京の大学で美術を学びヨーロッパで研鑽を深めた。プロの画家になった後もずっと心にあったのは「天国の鳥」だった。2009年、陝西省漢中洋県で写生をしていた時、一羽の大きな鳥が突然目の前に飛んできた。「天国の鳥だ!」それが朱鷺だったのだ。その時から朱鷺をテーマに創作を続けてきた。大空を自由に飛び交う朱鷺の姿だけでなく、共存する人々の姿にも視点を置き描かれた作品は中国で高い評価を得ている。2019年には陝西省林業局から「朱鷺文化宣伝推進大使」の称号が授与された。

大阪万博の会場で作品を見た人たちが何人も涙を流し妟子さんの手を握ってお礼を言ったという。妟子さんは「朱鷺の縁はロシアから中国、日本へとつながった。今後も私の芸術を通して日中や世界の平和に貢献していきたい」と話した。
今回の大阪万博の展覧会で大きな足跡を残した妟子さんのもとには、日本で個展をして欲しいというオファーが来ているという。朱鷺が日本の大空も舞う日が来るように、妟子さんの願いは続く。
今回の大阪万博の展覧会で大きな足跡を残した妟子さんのもとには、日本で個展をして欲しいというオファーが来ているという。朱鷺が日本の大空も舞う日が来るように、妟子さんの願いは続く。




