発行人(黒瀬道子)日記
関西華文時報発行人プロフィール
黒瀬道子
1971年生まれ、広島県出身。
大阪大学文学部日本学科卒業。
大学在学中に北京電影学院に留学。
日本語講師、中国語通訳・翻訳業を経て、
2002年5月、翻訳会社(有)アカシア・コミュニケーションズ設立、8月、関西華文時報を創刊。
翻訳会社経営の傍ら、関西華文時報の記者として日中間で活躍する人物のインタビュー取材を担当。陳凱歌氏(中国映画監督)、中曽根康弘氏(元日本国首相)、夏徳仁氏(中国大連市委書記)など

中国驻日大使程永华到任后首访关西2010年06月05日(土曜日)
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(本报讯/记者刘岚、渡边溥司摄影报道)5月14日,中国驻日大使程永华到任后首访关西,在中国驻大阪总领馆与关西华侨华人举行了恳亲会。
中国驻大阪总领事(大使级)郑祥林首先致了欢迎辞,他说:“程永华大使今天(5月14日)刚下新干线,在拜会了大阪府知事和大阪市长之后,就来到总领馆与大家见面,这是他到任两个月后首次访问关西,他非常希望早日与关西华侨华人和留学生代表以及中资企业代表见面交流恳亲;明天(5月15日)是日中友好协会成立60周年,明天日中友协要把欢迎程大使和纪念日中友好协会成立60周年的活动结合起来。”
程永华大使说:“我当大使后,很早就想到关西与大家见面,可是前一阶段在东京的活动很多,需要到很多部门拜会,所以来晚了,向大家表示歉意。”在场的一位在大阪经营贸易国内公司的华侨代表对本报记者说:“程大使太实在了,太亲切了,开场白第一句话就是向大家表示歉意,其实大家都很理解程大使在东京的工作繁忙程度,他刚到任需要接手的工作太多了,特别是他一到任就ー上了青海地震,程大使在大使馆带头发起了为青海地震募捐的义举感动了日本各界。”
程永华大使说:“我刚进来,就看到了上海世博会的宣传画,中国成功举办了北京奥运会,现在又举办上海世博会,中国经济又高速发展,国民经济产值接近世界排名第二,这些都是祖国伟大成绩的体现。不过中国还必须保持清醒的头脑,多大的成绩都要被13亿人口平均,中国要走绿色可持续经济发展,这些都需要向日本学习,日本有这方向的经验和教训。在日本华人要做中日交流的桥梁。同时新老侨团要加强团结和交流,要互帮互助。”
最后程永华大使说:“今后大使馆和总领馆会继续努力为大家服务,大家有什么困难可以直接和我们联系。”
大阪华侨代表金翬发言:他感谢程大使在百忙之中来到关西与大家见面,并表示要发挥华侨华人的作用,为中国的统一作出贡献。
本报记者在采访中发现:大家对程大使留在关西的第一印象普遍良好,很多与会者说:程大使亲切实在,还特别敬业,并希望程大使今后能多到关西走走看看。



骨髄の難病に苦しむ中国人女性2010年05月05日(水曜日)
支援を受け、造血幹細胞移植へ
程雯(てい・ぶん)さん

来日3ヶ月目に骨髄の難病と診断され闘病を続けている中国人女性程雯(てい・ぶん)さん(広島県福山市在住)が、日本人ボランティアや在日中国人の支援を受けて、5月中旬に造血幹細胞移植を受けることになった。4月30日、中国駐大阪総領事館の領事や岡山市日中友好協会の代表らが、岡山県倉敷市内の総合病院を訪れ、移植のため入院している程さんを見舞った。
程雯さんは中国黒龍江省出身の21歳。福山市の中華料理店で働いている父親を頼り、2008年9月に母親と共に来日。精神科医になりたいという夢を持ち、留学生として日本語学校に通っていた矢先、「骨髄異形成症候群」という難病と診断される。造血幹細胞移植が必要だが、日本国内ではドナーが見つからなかった。後に台湾でドナー候補が見つかったが、海外のドナーからの骨髄移植には約300万円の費用がかかる。程さん一家にはとても払える金額ではなかった。移植を諦めかけた時、日本人の有志数名が「ブンちゃんを支援する会」(岩谷光代代表)を立ち上げ募金活動を始める。支援の輪は岡山市日中友好協会など日本の友好団体や一般市民の間に広がった。また中国駐大阪総領事館や岡山県華僑華人総会、西日本の留学生組織「西日本中国留学人員友好聯誼会」などを通し在日中国人の間でも募金活動が展開された。支援金は目標金額を超え、5月12日に台湾のドナーから骨髄の提供を受け、移植手術が行われることが決まった。
30日、岡山市日中友好協会の土井章弘、黒住章子、家野四郎各理事と松井三平事務局長の4人は、募金活動で集めた151万2000円を贈った。中国駐大阪総領事館からは趙大為領事、教育担当の王君朝領事、孫林領事アタッシェが同席。趙領事は同領事館を通し寄せられた支援金25万7777円を手渡し、「きっとよくなる。頑張ってください」と励ました。また「日本の皆さんや台湾の同胞らに助けられたことを忘れず、勉学に励むように。将来は日中の架け橋として活躍して欲しい」と述べた。病院関係者や支援団体にも程さんへの支援に謝意を表した。
程さんは「多くの人に助けられたことを一生忘れない。きっと元気になって恩返しできるように頑張ります」と話している。
岡山市日中友好協会の土井章弘(前列右1)、黒住章子(前列右2)両理事から支援金を受け取る程雯さん(前列左2)と母親の呉国栄さん(前列左1)。後列右4は趙大為領事。(黒瀬道子撮影)



和=輪をつなぐ祭りを目指して2010年04月24日(土曜日)
中秋明月祭 大阪2010 実行委員会委員長 戦松茂さん(64)

関西地域の市民との交流を通じて、日中友好の輪を広げ中国伝統文化の理解を深めてもらおうと、9月18日、19日の二日間、大阪の難波宮史跡公園で中秋明月祭が開かれる。昨年に続き2回目。主催は大阪華僑総会、神戸華僑総会、京都華僑総会、西日本新華僑華人聯合会、西日本中国企業連合会、西日本中国留学人員友好聯誼会で構成される「中秋明月祭大阪2010実行委員会」。中国駐大阪総領事館と大阪市が共催する。
今年度の実行委員会委員長を務めるのは大阪華僑総会会長代行の戦松茂(せんしょうも)さん。「今回は華僑、華人だけでなく日本の市民とも協力しながら、参加型の祭りを目指す」と抱負を語る。昨年は新華僑が中心となって大阪で初めての在日中国人主催による大型野外イベントを成功させた。今回は地元にとけ込み、日本人と共生している老華僑の力が大きく加わることで、日本人社会への広報や集客に期待がかかる。
以下は戦実行委員会委員長のコメント。

中秋明月祭 大阪2010
開催にあたって

月の満ち欠けで時を刻む太陰暦、その8月15日に名月を観賞する習慣は10世紀頃中国から日本の宮中に伝わり、その後江戸時代には庶民の間にも広がってきたと言われています。今年2010年の中秋の名月は9月22日がその日にあたります。
中国ではいわゆる旧正月の「春節」と同様に最も盛んな節句の一つで「中秋節」
と言います。この中秋節は、中国ではこの日に家族、友人が集まり、杯を傾け、幸せを謳歌し、遠く離れた人々を思い、共に同じ時を楽しみ祝います。そのため家族団らんを意味する「団円節」      とも言います。
昨年に続き今年は2 回目の明月祭となります。中国では上海万博が開催され、益々関西地域と上海の経済関係と文化の交流が盛んになり、深化してゆくことは確実であります。前年の経験を踏まえ、関西地域の日本の方々、在住の全ての人々、華僑華人の仲間達と共に、中国を中心とした食、催し物、案内等を楽しんでいただきたいと思います。
出来るだけ本年は皆様と一緒に参加、体験が出来る催しを目指し、感動と交流を通じて、みんな同じ仲間になっていただきたいと思っています。そこでこの明月祭を「和=輪をつなぐ」祭りと位置付けたいと願っています。私たち実行委員だけでなく、広く関西地区の皆様との「和=輪」をつないでゆきたいと念じています。よろしくお願いいたします。

戦松茂(せんしょうも) 
1947年、大阪生まれ。華僑2世。父親は中国山東省出身、母親は日本人。桃山学院大学経営学部卒業。東アジアや東南アジアの繊維雑貨を扱う貿易会社「株式会社志成販売」代表取締役社長。2009年11月より大阪華僑総会会長代行。



青海地震関連A西日本新華僑華人聯合会、慰問のコメント2010年04月16日(金曜日)
青海地震に関連する関西の華僑華人の動向を中国に配信しています。西日本新華僑華人聯合会の李国夫会長は14日当日、世界の華僑華人団体の中でも早い段階で慰問のコメントを出しました。
http://news.sina.com.cn/c/2010-04-14/151317371276s.shtml
http://www.chinanews.com.cn/hr/hr-st-yz/news/2010/04-14/2225568.shtml

中新网4月14日电 据日本《关西华文时报》报道,4月14日下午3点,西日本新华侨华人联合会副会长胡士云紧急联络该报,并发来西日本新华侨华人联合会会长李国夫代表西日本华侨华人和留学们给中国青海地震灾区发出的慰问电。


  慰问电说,“惊悉今天早晨7时49分,中国青海省玉树藏族自治州玉树县发生了7.1级强烈地震,并造成重大的人员和财产损失。对此,我们谨向地震灾区人民和遇难者家属表示深切的慰问。同时,作为中华民族一分子的海外侨民,我们将持续关注震情,并将积极行动起来,配合有关部门开展救灾援助活动。”

  胡士云对记者说:“获悉青海地震的时候,我正在日本大阪的大学工作,惊悉这一消息后,西日本新华侨华人联合会会长李国夫立即与我联系一起商量为青海地震灾区赈灾救助的行动。我立即放下手中的工作,开展赈灾活动计划的准备工作”。(K濑道子)









青海地震関連@チベット族の恩人を探して2010年04月15日(木曜日)
青海地震に関連する関西の華僑華人の動向を中国に配信しています。まずは留日中国人生命科学協会副会長,日本理化学研究所研究員の李翀さん。現地でチベット族の医師に助けられた経験を持つ李さんは、恩人の安否を気遣っています。

http://www.chinanews.com.cn/hr/hr-yzhrxw/news/2010/04-15/2228113.shtml

旅日侨领关切青海地震灾区 冀寻找救命恩人下落

中新网4月15日电 据日本《关西华文时报》报道,4月14日早晨7点49分,青海省玉树藏族自治州玉树县发生了里氏7.1级的强烈地震。日本著名华人社团留日中国人生命科学协会副会长,日本理化学研究所研究员李翀博士第一时间联系该报,代表该协会表达了对震区的关切之情,并热切希望寻找他当年在青海地震灾区的救命恩人的下落。


  李翀代表留日中国人生命科学协会向灾区发出的慰问电表示:“惊闻青海省玉树藏族自治州玉树县发生了里氏7.1及的强烈地震,已经造成了重大的人员伤亡和财产损失。我代表留日中国人生命科学协会向地震灾区的遇难者家属表达最深切的慰问。同时也对所有受灾群众表达深切的关切,希望当地群众振作起来积极展开营救和自救,相信在祖国的领导下我们一定能战胜自然灾害。留日中国人生命科学协会倡议旅日华侨华人留学人员以各种形式积极开展对灾区的援助活动,为灾区奉献旅日华人的一片爱心。”

  说起玉树,对很多人来说都是第一次听到的地名。但是对李翀而言,这个名字再熟悉不过了。2002年8月,李翀尚在国内时,曾作为大学生代表前往玉树藏族自治州,并在本次地震受灾最严重的县城所在地结古镇进行了为期近两周的考察生活。14日中午,李翀偶然从日本网站看到了地震的新闻后,立即停下了手头的所有工作,不断地查找地震的最新消息,心急如焚的与国内进行联系,希望能尽快了解居住在玉树的朋友安否。很遗憾的是,因为地震的严重破坏,通讯系统已经瘫痪,所有的电话都无法接通。现在能做的只能是等待从玉树传来朋友们无恙的消息。

  谈起当时在玉树的情景,李翀回忆到,玉树位于青海省的东南部,离开西藏仅百余公里。因为黄河,长江,澜沧江这三条大江的源头都在附近, 也是三江源地区的组成部分。由于远离青海的首府西宁市,驱车整整24小时才到达海拔3700米的结古镇。结古镇虽然不大,但是四面环山,藏民占总人口的90%以上。当时正值玉树一年一度的赛马节,也是当地最重要的庆典之一,那壮观的场景到现在还常常出现在李翀的脑海中。尤其令李翀无法忘怀的是,因为水土不服的关系,他在玉树期间出现了严重的高原反应,并发了肺水肿,两次送进医院急救,情况十分危险。是当地的藏医和更多的医疗护理人员的精湛医技让李翀与死神擦肩而过,在短短几天内就完全康复。想到这些,李翀感慨万分,不知道当时的这些大夫是否平安,他们是否正在抢救地震中受伤的群众。

  曾参加了2008年四川大地震捐款募集工作的李翀还表示,将在随时协助在日本华侨援助灾区的活动,并希望灾区尽快恢复供电供水,保证生命线的畅通。(K濑道子)



中国人患者と日本の医療機関とを結ぶ架け橋として2010年04月11日(日曜日)
福知山市民病院放射線科医長
京都府立医科大学放射線医学教室臨床教授

羽柴光起さん

中国人が日本の最先端医療を受けるため来日―。医療費を自費で負担してでも日本で治療したいという中国人の癌患者の声を受けて、奔走している医師がいる。
羽柴光起(はしばみつおき)さんは放射線科の医師。癌放射線治療の専門家だ。放射線治療は他の治療法に比べ安価で副作用も少ないが、実施できる施設が限られている。羽柴さんは実施病院の情報を発信したり、患者と病院の間のコーディネイトをしたりと、癌放射線治療の普及に努めている。
羽柴さんが中国山東省済南市に住む王志義さん(56)のことを知ったのが昨年の11月。高等学校の校長をしているという王さんは10月に肺腺癌で余命三ヶ月と診断を受けていた。家族は助けたい一心で北京や上海など肺腺癌の権威といわれる病院を訪ね歩いたが満足のいく治療方法は提示してもらえない。そんな時、大阪に暮らしている王さんの娘夫婦が、知人のつてを頼り羽柴さんに相談する。羽柴さんが提示した治療方針や費用などを検討した王さん一家は、日本で治療を受けることを決めた。
12月、親族訪問のビザで来日した王さんに対し、羽柴さんは検査の結果をもとに詳細な治療計画書を示す。癌細胞は脳にも転移していたため、放射線治療の一種であるガンマナイフ治療で脳の癌細胞を消した。「余命三ヶ月」のはずだったが、現在は娘の家で療養しながら、月に一回、京都若渓清水医院で抗癌剤の投与を受け、完治を目指している。
娘の王静さんは日本での治療を選んだ理由として「医療費は4ヶ月で450万円ほど。薬代は中国とほぼ同じで、検査費など入院にかかる費用は日本の方が安い。何よりインフォームド・コンセントが徹底されているので安心」と話す。王静さんが一番印象深く思ったのは、羽柴さんが王さんの治療に最適な施設を探すために、あちこちの病院へ連絡をしている様子だった。「利益一辺倒ではない姿勢を感じ感動しました」。
羽柴さんは「日本国内でも放射線治療に関する情報が少なく、最先端の医療を受けられない患者さんが大勢いる。誰でも自分が望む医療が心ゆくまで受けられることが大事。中国の患者さんが日本で受けたい医療があるというのなら、その手助けをするのは当然です」と話す。「癌の患者やその家族の力だけで医師や病院を探すのは大変。医師の立場から患者と医療機関との橋渡しをする役割を担っていきたい」。
(関連記事/副刊4)



日本爱媛县华人社团向云南旱灾灾区发去慰问信2010年04月05日(月曜日)
4月1日,日本国爱媛县华侨华人联合会会长林全南向云南旱灾灾区发去慰问信。

  他在给云南省人民政府侨务办公室和云南省海外交流协会的信中说:“惊悉贵省遭受百年罕见的大旱灾,全省人民正在政府的领导下进行不屈不饶的抗灾自救。我们为你们的勇敢努力深受感动。在此,我代表我会及爱媛县在住的7000名华侨华人向你们并通过你们向祖国灾区的同胞们表示亲切的问候并致以热烈的声援!

  我们深信,在祖国政府的坚强领导下,祖国西南及云南省人民一定能够取得抗旱救灾的全面胜利! 最后,如果需要我会尽点微薄之力,劳请示知为盼!谨致以最崇高的同胞的问候!”(K濑道子)



日本求医治病记2010年04月02日(金曜日)
从中国远道而来 只为救命延寿
记放射线肿瘤专业医生羽柴光起先生

(本报讯/记者K濑道子报道)王静的父亲王志义(56岁)是中国济宁市人,前一段时间为了治病千里迢迢来到日本。王静是生活在大阪府堺市的一名普通华人。与其他华人一样,王静与其丈夫都在这里拥有自己的工作。由于自己不在父亲身边,父亲得不到很好的照顾,王静决定将患肺腺癌的父亲从中国接到日本接受治疗。现在王静的父亲正在京都若溪清水医院里接受抗癌治疗。在日本,王静为父亲找到了一位优秀的日本医生,名叫羽柴光起,他是放射线肿瘤专业医生,现任京都府立医科大学放射线医学教室的临床教授,兼任京都府福知山市民医院放射线科主任医师。
她的父亲的生命原本已经被中国医生宣告不会超过3个月,但是经过来日本接受治疗的父亲现在依然非常健康地生活着。

王静将在中国治疗肺腺癌的父亲接到日本治疗
王志义曾是中国山东省某高中的校长,去年他在中国的医院检查身体时发现自己得了肺腺癌。得知患了癌症的时候,他的病情已经是四期,并发生了癌细胞的脑转移。焦急的王静马上从日本ー回中国,照料得病的父亲。王静一边照顾自己刚刚出生的孩子,一边在医院里陪同父亲。但她发现中国医院治疗的方法十分让人不理解。王静说:“国内的治疗方法就是打针,而且大多都是营养针,啥好人每天打那么针,没病也打出病了。同时,这对患者本身来说是精神与经济上的负担。这种治疗环境实在太压抑了。”
王静也想过要为父亲换一家医院治疗,分别联系了中国北京、上海等地的治疗肺腺癌权威的医院,但都没有得到满意的答复。王静说,现在中国的好医院想住进去都是一件天大的难事,换医院更难。
于是经过在中国治疗两个月后,王静决定将父亲接到日本治疗。她的父亲在中国治疗病情的费用已经花了4万人民币左右,可是病情也未得到任何好转。

为何选择来日本治病
自从父亲患上了肺腺癌后,王静就在网上开始寻找治疗病症的相关资料。王静说:“治疗这种病需要一种美国的‘礼来药’。这种药在中国国内的省级医院里是买不到的,就算是买到了,也并非来自于正规渠道。在中国国内用一支礼来药的话需要3万人民币,如果在日本用同样药的话,需要40万日元。再比如说头部用的MI药剂,在中国需要2000人民币,在日本需要900日元。检查的费用做对比的话,日本也相对稍微便宜一些。因为我们是全部自费治疗,所以要选择相对便宜的地方治疗。而且大夫有热情,也方便我们照顾他。”
从去年12月底至今,王静父亲在日本治疗已经有四个月的时间了。王静稍微计算了一算,4个月中父亲的医疗费大概在450万日元左右。


一直帮助王静的父亲治疗的日本医生
当王静得知父亲患病的时候,她的好友向她推荐了一位日本医生—羽柴光起先生。羽柴光起是放射线肿瘤专业医生,放疗的专家。放疗是与其他癌症治疗法比较,费用便宜,而且副作用并不大,但是能进行放疗的医院并不多。羽柴大夫为了让更多的癌症患者能接受放疗,积极地宣传放疗有关信息,同时在患者和医院之间的沟通方面起到桥梁作用。羽柴大夫了解了王志义病情后,向王静一家提示了治疗方针,同时详细地介绍费用等日本放疗有关的信息。对羽柴大夫的有责任的态度,有所感动的王静一家决定请王志义来到日本接受先进医疗。由于羽柴大夫的治疗方向与王志义的病情相符,所以羽柴大夫也非常关注王志义的病情。不论是王志义在中国治疗时,还是在日本治疗,羽柴大夫一直“伴随左右”。并为王志义策划了一个“整体治疗策划方案”,并安排最适合他的医院。王静自述,羽柴大夫针对她父亲的病情提出的几个建议都非常科学,比如:头部的伽马刀手术、肺部的化疗等治疗方案。
羽柴大夫这一做法感动了王静与王志义。王静说:“感觉这位日本大夫非常热情,只有对病人有热情的大夫,才能认真地为病人负责。”

王静父亲现在状况良好
在京都若溪清水医院接受治疗的王志义,一个月打一次两个小时的针,这对于病人来说是精神的放松。而且脑部的症状已经治愈,肺部的情况也很稳定。王静说,现在父亲是普通的亲属访问,短期滞在签证。她打算在今年6月底的时候,为父亲申请“特定活动签证”。这样可以让父亲在日本安心地治疗,自己也会非常放心。
羽柴大夫说:“无论哪国人,能够尽情地接受自己希望的医疗,这是患者的权利。亲自找适合自己的大夫和医院,对癌症患者本人或其家属来说难度非常高的事情。我作为大夫非常愿意成为患者和医院的桥梁。也非常愿意帮助中国国内的患者能够接受日本的医疗。”
(有关报道在日语头版)




来自中国的相扑力士让发行人肃然起敬2010年03月17日(水曜日)
只有自己变得越来越有实力 才能为日中友好做些实事

3月12日早上7点半开始,在丰中市的丰中稻荷神社院内鸣响着肉体和肉体碰撞的“嘭、嘭”的声音。一百多名观众一点声音也不发出,注视着5-6名年轻相扑力士的早上练功。
这里是“荒汐部屋”的练习场,相扑台上的力士当中,身材最高、最壮的就是来自中国内蒙古的“十两关取”力士-苍国来关。与其他力士不声不响地碰着、扭住着、推着,苍国来大汉淋漓,头上还冒着热气。力士们接近两个小时的练功结束后,苍国来接受本报发行人的采访。苍国来气喘吁吁地回答一些问题,周围还有很多人在等着他,想与他讲话、合影。看来日本已经有不少“苍国来迷”了。
苍国来是继1974年7月,出生在大阪的福建省籍人“清乃华”升到“十两”地位的历史上第二位中国人“十两”。 苍国来成为了第一个来自中国的“十两”,同样也是内蒙古的第一个“十两”。作为相扑选手能升到“十两”地位是相当不容易的事。相扑选手(日本称为力士)按成绩分为10级:序之口、序二段、三段、幕下、十两、前头、小结、关胁、大关及横纲。横纲是选手的最高级称号,也是终身荣誉称号。十两以上6级运动员的发型和腰带的质量与幕下以下4级不同。十两以上6级运动员比赛时,有入场式,穿化妆围裙。十两以上才能叫“关取”。从“前头”以上的地位叫“幕内”,目前苍国来最大的愿望就是升入幕内,那么他就能成为历史上第一位中国人“幕内力士”了。
从小爱看相扑的本报发行人从本报别的记者的手上抢走苍国来的专访工作。采访之前,发行人搜集了有关苍国来的资料,结果不少媒体采访稿子里能看到,苍国来表态今后为中日文化交流或中日友好要做出努力等记载。发行人本来想问很多有关相扑方面的问题,比如蒙古相扑和日本相扑的区别,怎么揄チ体重等话题,同时好奇地想问中国80后的年轻人怎么进入日本的最传统的“神圣领域”相扑的世界里。但看资料来看,不能避开“中日友好”的话题了,单纯的相扑迷的发行人很难提出这种严肃话题,见到苍国来之前好紧张。
采访刚开始时,发行人问一句,苍国来回答一句,气氛高涨不起来。后来发行人一提,年轻时候去过内蒙古呼和浩特的草原,住过蒙古包、骑过马、吃过羊肉串时,苍国来也很高兴,开始主动谈起各种话题,包括喜欢的音乐、恋爱等内容。采访过程中,苍国来从来没有自己主动讲过“中国第二位十两”、“内蒙古第一位关取”等话,更没提过“为中日友好做出贡献”等话。
发行人来问起这些话题时,苍国来苦笑着说:“我尽量不去想这些事。我只想作为相扑力士要往上爬,想要更强”。问起今后为中日文化交流做出什么样的贡献时,苍国来很严肃地说:“现在根本不是谈这种事的时候,我只能努力往上走。将来有一定实力时,再做吧”。
苍国来的这句话,让发行人由衷地敬佩。发行人平时在各种场合上经常听到“为中日友好作出贡献”,“要做中日文化交流的桥梁”之类的话,很遗憾的是往往能听出来有的人说的完全是口号,没有实际意义的空话。苍国来明确地表达了不愿意说空话,要做实际的努力争取做到实际的贡献。
通过专访让发行人感觉到了苍国来对相扑文化的深刻理解和对日本文化的尊重,真让人佩服。那么多日本的“苍国来迷”围着他表示尊重,同时鼓励他更上一层楼。希望本报读者也能关注苍国来,期待着他在今后的相扑界里大显身手。(有关报道在第7版、副刊5、第32版)
(文/K濑道子)



养孩子不容易2010年03月04日(木曜日)
本报上一期副刊1的小栏目里,介绍了一个现象,现在很多在日中国人不像过去那样,孩子一生下来马上就送到国内老人家里养,而是选择在日本亲自教育孩子。近日,本报发行人出差到中国北方几个城市,顺便见了几位同年代的中国朋友们,谈起孩子抚育方面的各种话题。最后终于明白为什么大家选择在日本养孩子。要是在中国养活一个孩子,可真不是一件容易的事啊。

生活在大连市内的“RR”,现在两岁半,发行人的好朋友小兰的儿子。小兰的老公姓王(化名),王先生有几位兄弟,但RR的辈上没有男孩子,RR是最后出生的唯一的王家继承人。所以男方亲戚特别疼爱RR,打也让,闹也笑,要什么给什么,简直是个宝。小兰告诉发行人说:“RR很赚钱的。1岁时候的压岁钱,达到了1万人民币呢!”。
为了让RR接受早期幼儿教育,从今年3月份起RR要上托儿所了。小兰终于被解放了,不用整天照顾儿子了。但小兰说:“事情没那么简单。今后的开销到底会要多少啊,想一想太可怕了。”
发行人让小兰算一算今后到底需要多少抚育费。一算我们都吓一跳,尤其是没算过这么具体数字的小兰,面临了现实后,她喊:“我不想活了!”。下面是我们算的RR一个人需要的一个月抚育费。

托儿所费:1000元人民币
大连市一般水平的。贵的有一个月3000元人民币的。日本的公家托儿所按照家庭所得税来计算费用。非课税家庭的托儿所费是免费。大阪市的托儿所费最贵也5万多日元(约4000元人民币),是家庭年收入800万日元(61万3千6百元人民币)左右以上的情况。

钢琴家教费:560元人民币
一周一次,一次40分钟140元人民币。如果大学教授级的老师的话,一次200-300元人民币。小兰说:“学钢琴会开发智力嘛。大家都学,RR不学不行啊。”

学游泳费: 200元人民币
小兰说:“小孩子需要健康身体。大家都学,RR不学不行啊。”

奶粉:894元人民币(一个月喝3罐奶粉)
RR专门喝日本原装的“明治”牌奶粉。在大连麦凯乐百货里卖的是一罐298元人民币,是日本市场价的两倍。发行人曾经几次从日本给RR寄过明治奶粉,RR很识货,现在只认“明治”牌,坚决不喝别的牌子的奶粉。小兰怨发行人说:“谁让他喝惯最贵的奶粉啊。”

其他的伙食、零食、衣服、医疗费、交通费等费用:400-600元人民币
领RR去超市,他看好什么点心,妈妈就给他买。一次好几十元人民币。

一共是3054-3254元人民币。有可能今后更多,很多孩子上托儿所后开始学各种功课,比如英语、书法、画画等,基本上天天有课。小兰说:“别的孩子学,那么没法忍受自己的孩子不学啊。现在所有的家长都为了唯一的孩子活着,大家的互相比较、互相竞争的心理非常激烈。”
小兰的先生在开发区的企业里上班,一个月的工资大概有5000-7000元人民币左右。孩子的抚育费占领了工资的一大半。
这么算,只考虑经济问题的话,在日本养活孩子可能更便宜。起码收入和支出的平衡比较合理。发行人逗小兰说:“你当时放弃了来日本留学的路,选择在中国结婚生孩子,后不后悔啊。”
小兰说:“反正RR是一家之宝,我们夫妻为了RR会付出最大努力的。”





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